ぴーちくぱーちく

うるさーーーい!

閉店したゲームショップ「テレビっこ」の思い出

煌々と光る筐体のモニターに、タントアールのデモプレイ画面。コインを投入せず丸椅子に座りながら、店員に話しかける11歳の僕。餓狼伝説3はさ、キャラごとに隠し技を出すコマンドがあるんだ。知らない?

店員はニヤっと笑うと「ナイショだぜ」と言って、矢印やP・Kなどの文字がずらっと書かれたFAXを僕に渡す。まだゲーム雑誌でも、どこにも公開されていない秘密の情報だ。なんでこんなもの持ってるのさ?

「ゲーム屋だからね」

答えになっていない。でも、これはスゴいぞ。僕は持った指先の摩擦で黒く汚れる感熱紙をジッと見つめ、ギース・ハワードの隠しコマンドを頭に叩き込む。めちゃくちゃ難しい。キックやパンチ、レバーの動きをイメージして頭に叩き込み、それから100円を筐体に入れる。……全然うまくできない。

そこにコインを入れて乱入してくる店員。選択したキャラクターは、同じギース・ハワード。僕がなれない手つきでレバーをガチャガチャしていると、相手はススっ指を動かして滑らかに隠しコマンドを入力し、見たことない色のレイジングストームを出してみせる。なんでできんだよ!超むずかしいよコレ!

店員は、さっき渡したFAX用紙をクシャっと握りしめ、ハハっと笑って言った。

「ゲーム屋だからねー」

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僕は幼稚園から中学校卒業までに4回引っ越しをし、千葉県、福島県、神奈川県を渡り歩いた。小学校の2年生から住み始めた横浜は、親が気に入ったのか同じ市内で2回の引っ越しをしている。僕も少年期を一番長く過ごした場所だけあり思い入れが強い。

僕の少年期を語る上で外せない、人格形成に大きく影響したスポットが横浜市あざみ野のゲームショップ・テレビっこだ。小学生の中学年ごろにオープンしたこの店はアーケードゲームの筐体を置いていて、当時まだゲームセンターに行ったことがなかった僕は駄菓子屋くらいでしか筐体のゲームをプレイしたことがなく、ここではじめて対戦格闘ゲームに触れた。ビックリすることに、外でゲームをやっていると見知らぬ人間が横に座り対戦を申し込んでくる。家で友人と「スト2」などはやっていたが、まったくの他人とゲームをしたことなどなかった僕は、乱入という制度にカルチャーショックを受けた。そして、その面白さに目覚めていった。

思えば、ここで自分とゲームの関係性が確定したのかもしれない。僕はゲームは好きだが下手だし、やり込んだりするほうでもない。どちらかというとプレイをすることよりもゲームを通じて人と仲良くなったり、人とゲームについて喋ったりしているほうが楽しい。テレビっこの筐体は対戦台ではあるが、お店の一角に設置されたものなのでゲームセンターのような緊張感はない。客層も、ゲーセンはヤンキーがいるから敬遠しているがゲームは大好きな中高生、店員と友達のオタクな大学生などが多く、子供の僕でも安心して居られる空間だった。むしろ小学生なのに大人に混じってゲームをしていることに妙な優越感を持ち、彼らの仲間に入りたくて、背伸びして会話に加わっていった。


店員のひとり千葉さんは、中古で売られてくるスーパーファミコンのソフトをマジコンでフロッピーディスクに片っ端からコピーするギークな大学生。

もうひとりの店員、佐野さんはバイク通勤する姿がカッコよかった。絵が上手くてゲーメストなんかにイラストを投稿していた気がする。

開店前にお店の手伝いをする約束で、こっそり中古ゲームをやらせてくれた女性店員。当時は女の人と話すのが恥ずかしいからあんましスキンシップをとれなかったけど、いま考えると僕は彼女のことが好きだったんじゃないかという気がしている。性的な意味で。

店員の人達と仲が良かった大学生のトシモリさんは、アニメ好きの大学生。僕が「スレイヤーズ」のOVAを買ったとき、大人なのに「うわーこいつ買ってるし、貸して!見して!」と言ってきたのを今でもよく覚えてる。

そのほかにも最後まで名前は知らなかったけど、店でゲームしているとよく乱入してきた高校生の男の子。あだ名が帰国子女だったけど、別に帰国子女ではなかったらしい。あるとき、財布を落としただか盗まれただかで泣きながら店にやってきて、僕は100円を貸してあげた。小学生の自分にとって100円は大金だったけど、あげるつもりで渡したし、結局そのあと返してもらった覚えはない。


いろんな人達と出会い、遊んでもらって、僕は1年間ぐらいテレビっこに居座り続けていた。そのおかげで学校のクラス会で寄り道を吊るしあげられ、放課後の過ごし方として不健全というレッテルを貼られ、店に行きづらくなったりもした。そして、それとはあまり関係ないけど僕はどんどん学校が嫌いになり、中学にあがると不登校児になる。不登校児になると、外出をしづらくなる。それで僕は、ほとんどテレビっこに足を運ばなくなってしまった。

中学を卒業して、僕は通信制の高校に入学した。学校には相変わらず通っていなかったけど、ゲームは好きでPSソフトの「アーマードコア」にハマっていた。そこで僕は、同じ「アーマードコア」をプレイしている店員がテレビっこにいることを知り、再びテレビっこに足を運ぶことになる。いまはヨシカワタケシの名前でDJをしている彼が、そのときの店員だ。

ヨシカワさんと仲良くなったことで、テレビっこの店員たちとも知り合うことになる。昔は小学生だったが、このときは高校生。もう場合によっては大人と対等に話ができる年齢だ。あんなに憧れていた、大人の側としてテレビっこに立つ自分に感動すらした。年末にはお店の忘年会に誘われ、そこで小学生のときに遊んでもらった店員のお兄さん・佐野さんとの再会も果たす。バイトを辞めてしまった時点でもう会えないと思っていた人に、大人になってから会うことがあるなんて!佐野さんは成人マンガの領域でプロになったらしく、雑誌でエロマンガを描いているようなことを言っていた。緊張して、ペンネームとかを聞くのを忘れたのが悲しい。ただ「大きくなったけど、すぐにわかったよ」と、僕のことを覚えていてくれたことが嬉しくて、なんだかヘラヘラ笑ってしまったが、今思えば、あのとき僕は佐野さんにお礼を言いたかったんじゃないかと思う。

やがて僕はゲームからクラブミュージックへと興味の対象が推移していき、テレビっこにあまり足を運ばなくなっていく。ほどなくして親の引っ越しであざみ野も離れることになり、高校を中退した僕はバイトをしたり、一人暮らしをしたり、ライターになったり、結婚をしたり、子供を作ったり、忙しい人生を送りテレビっこのことをほとんど思い出さなくなっていった。

ついさっき、ふと思い出してgoogleの検索窓に「テレビっこ あざみ野」と打ち込んで見た。そこではじめて、僕は2011年にテレビっこが閉店していたことを知る。

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煌々と光る筐体のモニター、セブンイレブンのからあげ棒をかじりながら丸椅子に腰掛ける僕。
小学生がうろつくには、ずいぶんと外は暗くなっている。
お財布の小銭も底をつき、もう店にいるだけでゲームも長い時間プレイしていない。

そろそろ、帰らなくてはいけない。

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小学生のころのことを考えると、思い浮かぶ景色がある。

もう誰も自分の知ってる人はいない。とっくに居場所なんてなかったはずなのに
心のどこかで僕はあの店を、ずっと自分の帰る場所みたいに思っていた気がする。

いま時刻はAM3:38。僕は夜中に起きていても誰にも叱られない。
ゲーム屋は、とっくに閉店している。
そうだな。そろそろ、帰らなくてはいけない。