ぴーちくぱーちく

うるさーーーい!

あたしこのパイ嫌いなのよね

落ち着こう、こんなときはゆっくり数を数えればいい。小さな子が階段を「いち、に、いち、に」と上がるみたいに、簡単なことをひとつずつ積み重ねればあっという間。いち、に、いち、に。さあ用意しておいた、あの言葉を言おう。なるべくクールに決めるのよ。

いち「あたし」
に「このパイ」
さん「嫌いなのよね」

はい、よくできました。

-

自分の目の前に立つ少女は、とつぜんの言葉に呆然としている。嵐の中わざわざ届けた、しかもおばあちゃんが孫のために頑張って作ったパイに向かって、この孫は「嫌い」と言い放ったのだ。心が傷まないといえば嘘になるけど、こっちにも事情というものがあるのだ。彼女はさらさらと伝票にサインをして、お礼の言葉も言わずぶっきらぼうに玄関のドアを閉めた。

田舎から都会の学校に引っ越してきた彼女は、大人びたクラスメイトたちにすっかり魅了されていた。それは同級生の首筋から妙に良い匂いがすることや、男子と女子がケンカもせず仲良く遊んでいること、筆箱に貼ったシールを自慢しあうのではなく洋服をどこで買ったか聞き合うような、言ってみれば子供っぽくないだけで特別なことではない、年ごろの男女にとって普通のことだったのだが、彼女の目にはたまらなく大人っぽく映った。そして自分だけが子供のように感じられて恥ずかしかった。

優しい学友たちは彼女のことを田舎ものとバカにすることなく、対等に扱った。彼女はそのことを嬉しく思い、自分も彼らのように大人になろうと決意した。そうして背伸びをした結果、1カ月の間に彼女は数限りない恥をかき、そのことで学友たちは彼女のことをよく理解することができたのだが、当の本人は生きた心地がしない。もう失敗はできない。そんな崖っぷちの心境で、名誉挽回と臨んだのが今日の誕生日パーティだったのだ。

クラスメイトに招待状を出した、気になるクラブの先輩にも勇気を出して声をかけた。ドレスも新調した。本当は真っ赤なドレスが着たかったのだが、まだ早いと買ってもらえず子供っぽいピンクになってしまったことだけが心残りだ。きっとほかの女子は自分で選んだ好みのドレスを着てくるのだろう。まだ親に着るものを選んでもらってるなんて、笑われないだろうか。そんなことを考えていると、祖母から電話があった。ごちそうを送ったという。中身はなにか聞かなくてもわかる、かぼちゃとニシンを使ったパイは祖母の得意技だ。冗談じゃないっ、あんな田舎くさい味付けのものっ。

-

バタンっ。強く閉めたドアの音が部屋に響き渡ると、さっきまで賑わっていたパーティが嘘のように静まり返っていた。彼女は「しまった」と思った。宅配屋にきつく言うことでクールな都会の女を演じたつもりだったが、そもそもパイを受け取るべきではなかった。かぼちゃとニシンのパイから漂う田舎くさい香りが、きっと部屋の中に充満してるのだ。田舎育ちのわたしにはわからないが、生まれたころからバラの香水を振りかけられて育ったようなみんなは、馬小屋に放り込まれたような気分に違いない。クソ、馬のクソみたいなパイ!と彼女は、自分の手に持った包みに憎しみのオーラを放つ。

「ダメだよ、あんなこと言っちゃ!」

そう言ったのは、クラスメイトの中でもおとなっぽくオシャレな雰囲気を放っていると密かに思っていた憧れの女子だった。なにを怒られたのかよくわからず彼女はポカンとしてしまう。

「雨の中パイを届けてくれたんでしょう、ありがとうを言わなきゃ」
「そのパイおばあちゃんが作ってくれたんでしょ?素晴らしいわ」

友人たちはすでにこの1カ月で、彼女のことなどわかりきってしまっていた。どんなに彼女が都会の洗練されたレディを気取ってみせても、100近い失敗を見られていては無理もない。だからさっきの宅配屋に向けた言葉が、本当は彼女にぜんぜん似合っていないことなどお見通しなのだ。みえみえの嘘に付き合っていた友人たちは、やっと肩の力が抜けたというふうに笑いあい、彼女に詰め寄る。

「ムリしないでいいのよ。あなた、だって、ちょっとオッチョコチョイすぎるのだもの」
「ニシンのパイすっげえうまそうじゃん、一切れくれよ」
「さっきの子、パン屋の二階に住んでる子だろ。今度あやまりな」

彼女に語りかける同級生たちは、こころなしかもうあまり大人っぽく見えない。もしかすると、彼女の期待にこたえようと無理をしていたのかもしれない。少女はわけがわからず、しかし一ヶ月の間張り続けた気が抜けたのか、みんなの前にもかかわらず思わず泣き出してしまった。

パーティは続き、みんなが思い思いに話に花を咲かせたりカードをしたり、あるものは悪ぶってたばこを吸ったりするなか、主役の彼女は壁にひとりよりかかりため息をつく。もう目に涙はないが、落胆の色は隠せない。どうして私はこうなのだろう、もっと大人になるにはどうしたらいいのだろう。

お皿に乗ったパイを一口つまみ、ごくんと飲みこむ。

「あたし、このパイ嫌いなのよね。」

その味はどこまでも田舎臭く、だけれども今日のために用意したどのごちそうよりも優しい味が、、、