ぴーちくぱーちく

うるさーーーい!

おばけ道

「ソレミテ それでも霊が見てみたい」では、おばけが見たくて見たくて心霊スポットに足を運びまくって、でも結局見られなかった石黒正数小野寺浩二。連載も終わって諦めたのかと思いきや「見つからないのは第6感を鍛えていないから」と、今度は自分たちの能力を高める方向を模索しだした。

このマンガを出してる出版社・少年画報社は外壁がレンガ造りで、いかにも歴史を感じさせるビル。「ソレミテ」1巻にも描かれていたけれど、夜中に編集部に残っていると勝手にガラス戸が開くという心霊現象が起こるらしく。何度か打ち合わせでお邪魔したことがあるのだけれど、件のガラス戸は結構な重みがあって自然と開いたりするようなものではなかったと記憶しています。あそこで働いている人達は、マンガを読んでなんとも思っていないのだろうか。

「それでも町は廻っている」

商店街のおばあちゃんがやってる喫茶店でメイドをやってる女の子っていう、読み始めたときはそれだけの印象のマンガだった。推理好きっていう設定が、こんなに歩鳥のキャラと物語を引っ張っていくとは。でも結局は、人が前に進むための武器なんかは何か1つあればいいっていうことなのかもしれない。見た目がすごくいいわけじゃないし、ドジばっかで周りから白い目を向けられていても、何か1つ自分を自分たらしめるものさえ持っていたら。

それ町」は時系列がシャッフルされていて、前の話と次の話で季節が変わっていたり、年月が飛んでいたりするから、最終巻に収録されている話よりあとのことも昔の巻に出てきたりしているのかもしれない。

その、いっぱいある中からつまんできたものを見せられる感じが、まだまだ歩鳥のお話は終わったわけじゃなく、僕らが見ていないところで「それでも町は廻っている」んだろうなという感じが、嬉しいような、自分ひとりが引っ越しをしてしまいもう会えなくなってしまった友達のことをいつまでも思っているような、ずっと作品が自分に寄り添っている気分にさせられる。

真造圭伍さんが「森山中教習所」のあとがきで「もう会えないけど、ずっと友達の人もいる。そういうことを伝えたかった」というようなことを書いていたのを少し思い出す。

森山中教習所 (ビッグコミックス)

森山中教習所 (ビッグコミックス)

ヲタクに恋は難しい


マンガ好きの女の子ということで、モデルの外川礼子さんを取材させてもらったことがある。最近読んでるマンガを尋ねたら、ちょうど彼女が持ってきていた「ヲタクに恋は難しい」をオススメされたのが去年の5月のころ。タイトルは知っていたのだけども、こういう読まなくとも内容が把握できるようなものって後回しになりがちで、そのときはあんまり作品について踏み込んだ話はできなかった。

最近になってようやく読む機会があったのだけれども、いわゆる「あるあるネタ」のオタクバージョンがいっぱい詰め込まれていて、その「あるある感」を説明しなくてもわかってくれる相手と一緒にいるのは楽しいよねっていうマンガだった。2ちゃんねる語や、逆CPとかリバとかの腐女子知識を日常会話で多様したり、友達の家に泊まりこんでマリオカートをしたり、オタク同士だから取れる無遠慮なコミュニケーションが登場人物の仲良し感を演出している。また細かい用語の説明とかはなく、登場人物の会話についていける読者もまたオタク。この人達と自分は仲間なんだという連帯感を、読みながら覚えた。

オタクサークルの青春を描いた「げんしけん」とか、学校内の奇人変人が集まる部活・光画部の日常を見せる「究極超人あ〜る」とか、ラブコメだったりギャグだったり物語の軸になっている部分は違うけど“はぐれ者の楽しさ”みたいなものを描いた作品という意味で、これらのタイトルと「ヲタクに恋は難しい」は同じタイプの作品なんじゃないかなと僕は思っている。ツーカーで話が通じる仲というのは、同じレベルで話をできない外側の人々から見ると実はとっても閉じた存在になる。僕はオタクで、学生のとき教室の空気になじめなかったしイジメに近いような体験もした。けれどオタクの友達と一緒にいるときは楽しく遊んでいたし、オタクで集まっているということに安心感があった。その状態から僕らが持つ実際的な気持ち悪さや暗い感情を排除し、スペシャル感だけを増幅していったものが「ヲタクに恋は難しい」だと言えよう。

ただスペシャル感を増幅して気持ち悪い部分が排除されているとはいえ「ヲタクに恋は難しい」を読んで「#仲間 #最高かよ」みたいな気持ちになれる人間は、やっぱり根がオタクな人だとは思う。あんなに美人の外川礼子さんが、このマンガを読んでいる。なんだか夢のあることだと信じてます。

デニッシュぽろぽろ

モノを食べるときはお皿の上で食べるよう息子に注意するのだけど、いくら言ってもあまり覚えてくれなくて、机や床にポロポロ食べこぼしまくる。土日の朝は近所のパン屋で焼きたてを買ってくることが多いのだけど、デニッシュをお皿の上で食べないと、これが結構ひどいことになる。

妻「パンを持ったまま椅子から立たない!ほら、床のあちこちにパンくずが落ちて広がっちゃうでしょ!」

僕「これが本当のパンデミックだ!」

お父さん、いらないこと言わない!と言われ、ハーイと返事をして、僕はキッチンへと引っ込んでいった。

おやつキングと駅スタンプノートとオランダ人とポケモン化粧品とマザーファッカー


おやつキング(http://oyatsuking.jp/)のクッキー。思わせぶりな耳をひっぱると、予想したよりたいしたことないことが起こる。




駅に置いてあるスタンプを捺す専用のノート。いつでもどこにでも持ち歩き、スタンプを見つけたら駆け寄る。鶯谷のスタンプは、二階堂和美 with Gentle Forest Jazz Bandhttps://www.youtube.com/watch?v=5SZd-d7BJjA)を見に行ったとき駅で見つけたけど、スタンプ帳を忘れたので手近にあった紙に捺した(ダメじゃん)。



ミッドタウンのサントリー美術館で買った、オランダ人の描かれたお皿とシール。シールは、すごくいいと思ったのでキタムラメグミ(https://twitter.com/kitamenko)にあげたら、よくわかんないという反応だった。なんで?オランダ人だぞ!?


ポケモンのハンドクリーム。僕じゃなく妻が買ったのだけど、あまりにうらやましいので欲しがったら使っていいことになった。やったー!

幸せのキャパが小さいので、ちょっとした買い物でいっぱい幸せな気分になれる。いいものを買ったら、人に見せびらかして自慢したい。俺は選ぶ目があるぞと、えっへんする態度。みんなもっと、いいものを買ったら俺に自慢したらいいのにな。

売野機子「しあわせになりたい」


「クリスマスプレゼントなんていらない」「売野機子のハート・ビート」が連続刊行された売野機子さん。そういえば短編集って全部読んでいたっけ?と思い、書店でざっと見たところ1冊だけタイトルに覚えのない「しあわせになりたい」を見つけたので購入。

表題作「しあわせになりたい」の中で、星野さんという女の子は「楽しいことが毎日増えて しあわせになりそうでこわいの」と泣く。傷ついた心が立ち直るとき、元気になってしまったら、悲しいと思った気持ちを裏切るような気がする。傷つくほど大切にしていたことを忘れてしまうんじゃないかと、しあわせに怯えてしまう。

星野さんが好きだった男の子・朝生は、スランプ気味のミュージシャン。不幸せだったときは曲が書けたが、その曲が世間に認められ彼は傷つくことがなくなってしまう。「肉体が満足してるとマインドが欠けるんだ」と、彼もまたしあわせになってしまうことに抵抗をする。しあわせになりたくないわけじゃない。むしろ「しあわせになりたい」と、みんなが思っている。

関係ないけど、なくないけど。うちの妻が昔「人はやりたくないことはやっちゃいけない。気が狂うから」と言っていた。どうしてそんな話をされたのか、たぶん仕事がつらいとかそういうことを僕が言ったからだと思うのだけど。

「楽しいことが毎日増えて しあわせになりそうでこわいの」と泣く星野さんを見ながら僕は、じゃあこの娘はなにが「やりたくない」のだろう……とぼんやり考えた。僕もしあわせになりたい。

閉店したゲームショップ「テレビっこ」の思い出

煌々と光る筐体のモニターに、タントアールのデモプレイ画面。コインを投入せず丸椅子に座りながら、店員に話しかける11歳の僕。餓狼伝説3はさ、キャラごとに隠し技を出すコマンドがあるんだ。知らない?

店員はニヤっと笑うと「ナイショだぜ」と言って、矢印やP・Kなどの文字がずらっと書かれたFAXを僕に渡す。まだゲーム雑誌でも、どこにも公開されていない秘密の情報だ。なんでこんなもの持ってるのさ?

「ゲーム屋だからね」

答えになっていない。でも、これはスゴいぞ。僕は持った指先の摩擦で黒く汚れる感熱紙をジッと見つめ、ギース・ハワードの隠しコマンドを頭に叩き込む。めちゃくちゃ難しい。キックやパンチ、レバーの動きをイメージして頭に叩き込み、それから100円を筐体に入れる。……全然うまくできない。

そこにコインを入れて乱入してくる店員。選択したキャラクターは、同じギース・ハワード。僕がなれない手つきでレバーをガチャガチャしていると、相手はススっ指を動かして滑らかに隠しコマンドを入力し、見たことない色のレイジングストームを出してみせる。なんでできんだよ!超むずかしいよコレ!

店員は、さっき渡したFAX用紙をクシャっと握りしめ、ハハっと笑って言った。

「ゲーム屋だからねー」

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僕は幼稚園から中学校卒業までに4回引っ越しをし、千葉県、福島県、神奈川県を渡り歩いた。小学校の2年生から住み始めた横浜は、親が気に入ったのか同じ市内で2回の引っ越しをしている。僕も少年期を一番長く過ごした場所だけあり思い入れが強い。

僕の少年期を語る上で外せない、人格形成に大きく影響したスポットが横浜市あざみ野のゲームショップ・テレビっこだ。小学生の中学年ごろにオープンしたこの店はアーケードゲームの筐体を置いていて、当時まだゲームセンターに行ったことがなかった僕は駄菓子屋くらいでしか筐体のゲームをプレイしたことがなく、ここではじめて対戦格闘ゲームに触れた。ビックリすることに、外でゲームをやっていると見知らぬ人間が横に座り対戦を申し込んでくる。家で友人と「スト2」などはやっていたが、まったくの他人とゲームをしたことなどなかった僕は、乱入という制度にカルチャーショックを受けた。そして、その面白さに目覚めていった。

思えば、ここで自分とゲームの関係性が確定したのかもしれない。僕はゲームは好きだが下手だし、やり込んだりするほうでもない。どちらかというとプレイをすることよりもゲームを通じて人と仲良くなったり、人とゲームについて喋ったりしているほうが楽しい。テレビっこの筐体は対戦台ではあるが、お店の一角に設置されたものなのでゲームセンターのような緊張感はない。客層も、ゲーセンはヤンキーがいるから敬遠しているがゲームは大好きな中高生、店員と友達のオタクな大学生などが多く、子供の僕でも安心して居られる空間だった。むしろ小学生なのに大人に混じってゲームをしていることに妙な優越感を持ち、彼らの仲間に入りたくて、背伸びして会話に加わっていった。


店員のひとり千葉さんは、中古で売られてくるスーパーファミコンのソフトをマジコンでフロッピーディスクに片っ端からコピーするギークな大学生。

もうひとりの店員、佐野さんはバイク通勤する姿がカッコよかった。絵が上手くてゲーメストなんかにイラストを投稿していた気がする。

開店前にお店の手伝いをする約束で、こっそり中古ゲームをやらせてくれた女性店員。当時は女の人と話すのが恥ずかしいからあんましスキンシップをとれなかったけど、いま考えると僕は彼女のことが好きだったんじゃないかという気がしている。性的な意味で。

店員の人達と仲が良かった大学生のトシモリさんは、アニメ好きの大学生。僕が「スレイヤーズ」のOVAを買ったとき、大人なのに「うわーこいつ買ってるし、貸して!見して!」と言ってきたのを今でもよく覚えてる。

そのほかにも最後まで名前は知らなかったけど、店でゲームしているとよく乱入してきた高校生の男の子。あだ名が帰国子女だったけど、別に帰国子女ではなかったらしい。あるとき、財布を落としただか盗まれただかで泣きながら店にやってきて、僕は100円を貸してあげた。小学生の自分にとって100円は大金だったけど、あげるつもりで渡したし、結局そのあと返してもらった覚えはない。


いろんな人達と出会い、遊んでもらって、僕は1年間ぐらいテレビっこに居座り続けていた。そのおかげで学校のクラス会で寄り道を吊るしあげられ、放課後の過ごし方として不健全というレッテルを貼られ、店に行きづらくなったりもした。そして、それとはあまり関係ないけど僕はどんどん学校が嫌いになり、中学にあがると不登校児になる。不登校児になると、外出をしづらくなる。それで僕は、ほとんどテレビっこに足を運ばなくなってしまった。

中学を卒業して、僕は通信制の高校に入学した。学校には相変わらず通っていなかったけど、ゲームは好きでPSソフトの「アーマードコア」にハマっていた。そこで僕は、同じ「アーマードコア」をプレイしている店員がテレビっこにいることを知り、再びテレビっこに足を運ぶことになる。いまはヨシカワタケシの名前でDJをしている彼が、そのときの店員だ。

ヨシカワさんと仲良くなったことで、テレビっこの店員たちとも知り合うことになる。昔は小学生だったが、このときは高校生。もう場合によっては大人と対等に話ができる年齢だ。あんなに憧れていた、大人の側としてテレビっこに立つ自分に感動すらした。年末にはお店の忘年会に誘われ、そこで小学生のときに遊んでもらった店員のお兄さん・佐野さんとの再会も果たす。バイトを辞めてしまった時点でもう会えないと思っていた人に、大人になってから会うことがあるなんて!佐野さんは成人マンガの領域でプロになったらしく、雑誌でエロマンガを描いているようなことを言っていた。緊張して、ペンネームとかを聞くのを忘れたのが悲しい。ただ「大きくなったけど、すぐにわかったよ」と、僕のことを覚えていてくれたことが嬉しくて、なんだかヘラヘラ笑ってしまったが、今思えば、あのとき僕は佐野さんにお礼を言いたかったんじゃないかと思う。

やがて僕はゲームからクラブミュージックへと興味の対象が推移していき、テレビっこにあまり足を運ばなくなっていく。ほどなくして親の引っ越しであざみ野も離れることになり、高校を中退した僕はバイトをしたり、一人暮らしをしたり、ライターになったり、結婚をしたり、子供を作ったり、忙しい人生を送りテレビっこのことをほとんど思い出さなくなっていった。

ついさっき、ふと思い出してgoogleの検索窓に「テレビっこ あざみ野」と打ち込んで見た。そこではじめて、僕は2011年にテレビっこが閉店していたことを知る。

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煌々と光る筐体のモニター、セブンイレブンのからあげ棒をかじりながら丸椅子に腰掛ける僕。
小学生がうろつくには、ずいぶんと外は暗くなっている。
お財布の小銭も底をつき、もう店にいるだけでゲームも長い時間プレイしていない。

そろそろ、帰らなくてはいけない。

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小学生のころのことを考えると、思い浮かぶ景色がある。

もう誰も自分の知ってる人はいない。とっくに居場所なんてなかったはずなのに
心のどこかで僕はあの店を、ずっと自分の帰る場所みたいに思っていた気がする。

いま時刻はAM3:38。僕は夜中に起きていても誰にも叱られない。
ゲーム屋は、とっくに閉店している。
そうだな。そろそろ、帰らなくてはいけない。